昔の人たちが築いたアジア・アフリカの歴史を学ぼう
HOME東アジア史 > 日露戦争

日露戦争

分割されていく中国では次第に民衆の不満が高まっていき、キリスト教を排斥しようとする仇教運動が義和団事件へと発展する。排外運動が北京にまで及ぶと、この勢いに乗じた西太后が1900年に義和団と共に列強に対して宣戦布告を行った。これに対して、日露を主力とした8カ国連合軍が派遣され義和団事件は鎮圧される。 義和団事件後、満州に兵を置いたまま朝鮮に手を出そうとしたロシアに対して日本は満韓交換論などの妥協案を用意。しかし結局うまくいかず1904年に日露戦争がはじまる。この戦争は日本の死者が100,000人にも及ぶ一方、戦争の途中でロシア第一革命が発生するなど両国とも大変な状況になり、1905年にアメリカの仲介でポーツマス条約を結んで終結となった。条約内容を考えれば日本の勝利と言えるもので、有色人種が白人国家に勝利したとして世界に大きな影響を与えた。

8カ国連合軍について

8カ国連合軍に日本が参加したのはイギリスに要請されたためだった。 中国に対してはイギリスやアメリカも注目していたが、南アフリカ戦争に対応していたイギリスや、フィリピンにおいてアギナルドの抵抗運動にあっていたアメリカには主力部隊を中国に送る余裕がなかった。そこで、ロシアだけに義和団事件を鎮圧されるのを防ぐために、日本に声がかかったのだ。

Back to TOP