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日露戦争、第一次世界大戦と独立運動

1880年代にイギリスが植民地を拡大していく中で、インド軍が徴用されイギリス軍として世界各地に向かわされ、インド内では不満が高まっていく。イギリスはそうした不満を言葉で発散させ反乱を防ごうとインド国民会議という組織を作った。しかし、1905年に行われたベンガル分割令にインド国民会議が反発、同時に日本が日露戦争で勝利したというニュースもあり、1906年にはインド国民会議派として反英の方針を掲げ、自治獲得などのスローガンを掲げるようになる。 第一次世界大戦でイギリスはインドに戦後の自治を認める約束をするが、これを守らずローラット法などを出して支配を続けた。その後インド統治法で自治を与えるがローラット法などとの矛盾から独立運動が大衆運動と化していく。 独立運動の高まりに対してイギリスは新インド統治法を出すが、インド人の望むものとは異なっていた。

ガンディーについて

ガンディーはインドの独立運動の指導を行っていた。だが、独立運動が一部の地域で暴力を伴うようになると独立運動を中止してしまう。 彼は非暴力・不服従運動を掲げており、これはヒンドゥーのサーヤグラハという教えから来たものだ。非暴力で対立を避けヒンドゥーとイスラームをまとめ、力でインドを支配したイギリスには従わず、力で独立運動は行わないということだ。

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