昔の人たちが築いたアジア・アフリカの歴史を学ぼう
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ローマとイラン

紀元前3世紀の半ば頃にアルサケス1世が建国したパルティアは紀元後226年まで続くことになるかなり長い王朝だ。 パルティアは隣接しているローマ帝国やクシャーナ朝とたびたび争っており、陸のネットワークの政情が不安定になったため、代わりに海のネットワークが発展していくことになった。 パルティアを倒して次にイランを収めたのがササン朝ペルシア。ゾロアスター教というアケメネス朝ペルシアの時代に生まれた宗教を国教としていた。美術品や工芸品製作などで知られ、その影響は日本にまで及んでいる。三味線の元になったセタールという楽器もこの時代に作られたものだ。6世紀に全盛期を迎え、東ローマ帝国と争い続けた。この戦いが長くなりシルクロードが使えなかったため海路を使うことが増え、アラビア半島西岸の発達を促した。このことがイスラーム成立の理由となった。

ササン朝ペルシアの宗教

ササン朝ペルシアの国境はゾロアスター教だが、他の宗教が禁止されたわけではなく、仏教、キリスト教、ユダヤ教は認められていた。中でも、ローマと対立していたササン朝ペルシアは、ローマが異端としたキリスト教のネトリウス派を保護した。 また、ゾロアスター教とキリスト教が一つになったのがマニ教で、ソグド人という中央アジアの人々に広まった。

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